ラプンツェルの傷を癒す
ラプンツェルであることを認めたくない、
認めたら、その先に見えるもので、また傷つき絶望しちゃうかもしれない、
と思うと嫌ですよね。
でも、私の体験からすると、事実を受け入れるとショックも大きいけれど、
そのショックを上回るくらい、楽になりました。
親子とは何か、モラハラとは何か、特殊な能力を持つ子供の問題と育児(ギフティッド)
これらは私の中に良くも悪くも混ざり合っているテーマ。
このテーマについて、学び、知り、理解を深め、様々なことが客観的に見えてくると、
自分にあった生き方や本当の健康とは何かが見えてきました。
そして、それまで、自分に必要なことと逆の体験をしていたことに
気がつき実感しました。
それまでに、自分が当たり前の日常だと思っていたことが、
実は、当たり前のことではなかったと気づいたとき、
自分が直面していた問題は、とても根深いと言うことにも気づきました。
知れば知るほど、傷は深かった。
ラプンツェルだった私の日常は、絶望だったなって気がつきました。
絶望って、いわゆるイメージしていたより、普通に生活に存在するんだ、
日常になり得るんだなと実感しました。
気づいた私は、それを残念に思う気持ちより、
納得する気持ち、そして「よくぞ今日まで生き延びたな」と自分を労わる気持ちに
なりました。何か不思議な解放感、安心感、を感じました。
むしろ、現実を見ることで、絶望から離れることができました。
事実を認めて、受け入れることは、怖いけれど、
やって見ると解放されます。
それが、傷の存在を認めることが、傷を癒す第一歩だと思います。
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