体験した者同士の強み
いいことも、悪いことも、体験したからこそ、実感を伴って、
芯から理解できることって多いと思います。
だから、ラプンツェルはラプンツェル同士、傷を舐め合うわけではないけれど、
わかる人に話すことも大事だと思います。
体験したことがあるのとないのとでは、こんな違いがあるんだなという経験を、
モラハラ以外の例えで説明して見たいと思います。
私が、以前スペインに住んでいた時に、置き引きにあいました。
初のスペインでの生活でしたので、それはもう散々気をつけていたのですが、
ちょっと生活になれて、油断した時に被害にあいました。
被害に遭う前は、置き引きは嫌だなと思いつつ、事件後にあんな嫌な後味を味わうとは
想像しなかった。警察、カード会社、どこで説明しても、
まずは、私の落ち度について質問される。
客観的な様子を説明するために仕方ないけど、やはり凹む。
犯人が組織絡みで悪質だと、盗んだバッグから鍵と住所がわかれば、
家財道具を盗みにくることもあるの。だから、鍵も変えたり、泥棒にきたら嫌だなと
長いことハラハラしていました。
カードが不正使用されていた時も、被害にショックを受けていても、
カード会社は当然私の行動も確認する。
様々なことを確認して、本当に誰も買ってないですね?と念を押される。
カード会社の方も、お仕事だから、丁寧だし、いやな質問ですがとおっしゃって、
お気遣いはあるのですが、やはり、自分がショックな最中そういう手続きがあるのは、
凹む。
知人宅の火事も見たけど、これまたニュースで見聞きしている火事と想像と違う。
背景が見えるだけに、すごいショックがありました…
逆に、いい場面でも、そういうことはあると思います。
業界のトップを行く人、アスリートで優勝する人にしか味わえない高み、喜び、苦悩、
達成感だって、味わってない人には分からないと思います。
全てに関して、体験したもの同士が、細部の心の動き、背景を理解し合える、
その度合いは桁違いでしょう。
モラハラ、いじめ、虐待も、言葉では一般的になっているだけに、
理解が表面的になっていることがあります。
もっと、理解し合えるように、こうして経験したものが自分の体験を話すのは
大事なのではないかと感じています。
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